日本の常識はオリンパス事件を見れば理解できる

10年以上隠し続けていた巨額の負債が遂に明るみに出た。
それが2011年に起きたオリンパス事件だ。


この事件は色々と不明瞭な事が多い。しかし論語のとある節を引用しながら事件を観察すると、簡単に謎が解ける。同時に日本の常識とはつまりこういう事なのだと気が付く。

論語のとある節(子路第十三)

葉公が孔子に話した。
「私の村に法律を尊重する正直者の子供がございまして、その子の父が羊を盗んだ時に子供がその事実を役所まで訴えたのです。

孔子がこれに答えて
「私どもの町内の正直者と、それとは全く違います。父は子の為に悪い事を隠し、子は父の為に悪い事を隠してやるのです。それが自然の性質に正直に従った行為というべきでしょう。法律は法律であるが故に正しいのではなく、それが人と人との関係を愛に満ち足りたものにすることが出来るかぎり正しいのです」


要はイケナイ事があったら家族なら「臭いものには蓋」をするのが当然って事。


★★★★

我々が普段「良かれ」と思っている価値観の一つに「社員を家族と思う」がある。本気で社員を家族だと思う経営者が最高であり、反対に社員=使い捨ての駒という思考であればそれは最低の社長だ。

OLYMPUSは日本企業であり、日本の中で強大な組織に成長した大企業だ。他の会社よりも「社員を家族」と思っている企業だと認識して間違いない。従って上記の「父は子の為に悪い事を隠し、子は父の為に悪い事を隠してやる」論理も強力に働いている企業である。


というのもオリンパス事件そのものがその証明になっているのである。どうやったら数十億の負債がバレる事無く10年以上も問題にならないか。社長が誰の力も借りず独力で隠し通したと考えるには余りにも長すぎる期間である。また部下が上司にバレる事を恐れて独力で隠し通せる期間でもない。「社長」も「社員」も互いに負債の事を知っており、同時に社長も社員もグルで負債を隠していたと考える以外にないのだ。

この関係は正に「父は子の為に悪い事を隠し、子は父の為に悪い事を隠してやる」であり、社員=家族という認識があったからこそなし得る技だ。


事実として10年以上、社長と社員の隠し合いは成功した。会社のトップが3回変わっても平穏無事に過ごせた。これは個人レベルで変わる好き嫌い論理ではなく、集団論理として強力に共通する「常識」によって隠しあいを成功させていた事を意味する。個人レベルの好き嫌い論理なら社長引き継ぎの際か、役員が変わった途端負債問題が発覚する筈である。個人レベルではなく、集団レベルで同じ論理を「常識」として共有していたからこそ、問題を長期間隠す事が出来たのだ。

じゃあ何故バレたのか?
社員を家族と思わない奴が会社のトップに君臨したからだ
外人がトップに立った途端、オリンパス事件が発生した。
つまり日本人なら常識である「社員を家族と思う」は外人では常識として作用しなかったので、隠し合っていた問題が表に出てきてしまったのである。オリンパス事件とは日本人と外国人の常識の違いによって引き起こされた事件なのだ。

ここから先は推論でしかない。
オリンパス事件は「外人」が問題を発覚させる形でしか、事件に発展しなかっただろう。万が一「日本人」がオリンパス事件を引き起こそうとすれば、そうなる前にその日本人を排除し、問題として引き起こ「させない」様に…俗にいう、村八分…窓際族とでもいうべき立場に追いやり、全ての言動を無きモノにする筈だ。何故そう思うか?父は子の為に悪い事を隠し、子は父の為に悪い事を隠してやるの精神に違反するからである。臭いものには蓋をする…これは日本人にとって非常に模範的行動…最もポピュラーな行いなのだ。我々は単に模範通りに動こうと、違反者を排除したに過ぎない。現に、今回の主役であるマイケル・ウッドフォード氏は形だけの社長の座に追いやられ、就任からわずか約7カ月で解任された。事件はその後発生したのである。

★★★★

「社員を家族と思う」

この精神は日本では大いに好まれる価値観である。しかしそれは同時に隠蔽体質、不透明経営の原水ともなる価値観でもある。


巷ではブラック企業といって、うつ病になるまで働かせ、精神病に掛かるまで問題を放置する企業が多いという。これは悪なのか。否。我々が大好きな「社員を家族と思う」の延長線に出来上がる社会の姿である。法律違反をしようが、何をしようが「社員」は「会社」の為に事実を隠すのである。同時に「会社」も「社員」の為に事実を隠すのである。

同じ論理を用いても結果は一律にはならず一方は天国、一方は地獄といった様に多様性を持つ。だが、ブラック企業も超優良企業も同じ論理で動いているのは確かである。従って、ブラック企業の批評を行いつつも、実は同じ事を自らも当然と行なっているという事態が発生する。

それが、日本の常識である。