教育の方向性

教育を考える際、大きく分けて2通りある。

  • 個別授業
  • 大衆授業

の2つだ。

個別授業とは少数の生徒を一人の先生が抱えるという方式だ。生徒一人一人の癖に合わせて先生がシッカリと面倒を見てくれるというもので巷では少数授業とも言われている。この方向性は極論すれば家庭教師の様になるだろう。一人の生徒に対して一人の先生が付くという教育体制である。

もう一つの大衆授業というのは、要は大学の大講義室で行われる講義だ。数百人の生徒を一人の先生が見る訳である。当然ながら生徒一人一人の癖に合わせて…という事は出来ないが、講師はスペシャリストでありここでしか聞けない話が目白押しである。この方向性は極論すれば一人の講師が数万人を同時に相手にする形になるだろう。現在のインフラ設備から言えば恐らくネット配信やらニコニコ生放送やらによって実現する教育体制である。


今回はこの2方向性のメリット・デメリットを考えてみる。

イノベーションを生まぬ教育

まず始めに個別授業のメリットについて考える。

自分の興味関心分野の話をされて嫌な顔をする人はまずいない。それは教育でも通じる。例えば理科を教える際、車好きな生徒には車の仕組みから内容を教えていくのが最も効果的だ。私の体験として、F1エンジン(空冷)の話とリンクして水冷の必要性・用途の違いを教えられた際は良く覚えた。この様に教育を効率を良く進めていくには、生徒の興味関心分野から授業内容を教えるという手法が最も効果的だ。

個別授業のメリットはこの点にある。個別授業の先生が最も苦心するのは「生徒のやる気を以下に引き出すか」であり、生徒の行動、癖、興味関心分野を人一倍見極めようとする。これらの行動は全て前述した「興味関心分野から攻めてる事で、生徒に授業内容をより良く理解して貰う」という目的を達成する為にある。

★★★

ここまでの記述から、先生が学ぶ内容には2種類ある事にお気づきだろうか?
一つは生徒の「興味関心分野」、もう一つは「授業内容」の勉強である。残念な事に先生は何方もバリバリにこなすスーパーマンではない。多くの場合、2つの内何方かを優先して学ぶ事になる。勿論、個別授業の場合は「興味関心分野」側を優先する。

ここに個別授業のデメリットがある。生徒の興味関心分野に力を注ぐ分、先生は授業内容を進歩させる気力が薄いのだ。先生は上の言われに従い、毎年変わる微妙な授業内容の変更に対応するだけで満足し切るだろう。それだけ「興味関心分野」に力を注いでいるのである。

★★★

このデメリットは究極的には、無から有を生み出すイノベーションの減衰を招く。結局、イノベーションとは学問の内容を更に発展させる者でなければ出来ない事である。生徒の興味関心分野(有)から攻めようとした時点でイノベーションは起こり得ない。

興味関心分野から教育内容に繋げるという特性は恐らく「コラボレーション」を得意とする生徒を量産する。一見無関係に見える両者を繋げる…という作業を「良い」と刷り込まれれば当然の傾向だ。端的に言えばコラボ事業が活性化するが、それ以上の事は出来ない。具体的に言えば新しいキャラとのコラボは次々と繰り出されるが、商法そのものはどこかで見た代物で、マニュアル通りの商品展開…という状況である。アニメ産業等が顕著だろうと思う。

この状況はどうして起こるか?恐らく企画者は顧客の興味関心分野にしか興味がなく新鮮なネタ探しに必死で、肝心の学問(商法)を進化させる気が薄いからである。店に行けば「どっかで見た」「またドット絵のキャラ画ストラップか」というので溢れかえっている。勿論それは無駄ではないが、日本という国が先進国としてこれから先も生き抜いていくには利益率の高い、無から有を生み出す事業を生み出すイノベーションが必須なのである。


コラボレーションを生まぬ教育

対して大衆授業ではイノベーションを生みやすい教育方針なのではないかと思う。当然ながら、数百人の生徒を満足させるには相当に高度の「授業内容」を提供しなければならない。この時、個人個人の興味関心分野を気にする素振りは無い…元から不可能だ。

考えてみて欲しい。会議室で数人で話し合っている人達と、数百人が同時に集まる場で討論している人達では何方が将来イノベーションを起こすだろうか?当然後者だ。同時に数百人と堂々と討論出来るという事で、その知識が正当性を持ちうるかどうかの検証が入る。ここに大衆授業のメリットが集約される。興味関心分野(有)には無関心…それでいて大量の人達と質の高い討論。「何かが起こるかも知れない」(今は無だけど有を生み出すかもしれない)という期待が高まるのは必然だ。

デメリットはそのまま個人の興味関心分野を気にしない事である。下手を打てば多くの人が永遠にその分野に興味を示さないまま生涯を閉じる事になる。多くの人の目にとまらないという事はコラボレーション機会が激減するのではないかなと思う。



何れの教育の方向性にしても得手不得手がある。肝心なのは「どっちの教育が悪か」「どっちの方が効率が良いか」では無く、教材によって適材適所で上手く使い分けが出来る様、柔軟な教育体制を構築する事だろう。硬直化した教育体制程、つまらぬものはない。


そんな事を考えつつ今日はオシマイ