人生の長さと、考え方

人生の長さというのは生まれてくる時代によって大きく異なってくる。縄文時代であれば20年がいいとこだが、戦争時代であれば40歳程度、戦後には50歳、そして今は82〜83年ぐらい生きる。現在の日本は世界に誇る長寿大国になった。グラフの様子から見るに「人生90年」時代もそう遠くない様に思える。人生ホント長くなった。


日本の平均寿命の推移をグラフ化してみる(2015年)(最新) - ガベージニュース


今日は「人生の長さ」が、考え方にどういう影響を与えるのかについて考えたい。今回は人生で最も重要と言える「家族付き合い」と「家」に焦点を当てて説明していく。この2つが人生に与える影響は非常に大きく、その分個人の思想や考え方、ひいては社会概念にも大きく影響を与えるからだ。

「家族付き合い」や「家」が急速に変わるのは20〜30歳である。これは結婚を機に家族関係が増えるというのと、そのタイミングで住居についても再考する社会通念が背景にある。従って今回はそれらを整え終えたであろう30歳を軸にして「人生の長さ」を考えていく。

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まずは1950年に30歳を迎えた人達だ。従ってこの人達の生まれは1920年である。青春を戦争に捧げ、日本の復興に捧げた世代である。この世代が30歳時の平均寿命は大体58歳位で、これは孫が生まれて6〜8年もすればポックリあの世に行くぐらいの人生の長さである。この頃の若者は「自分の人生は後30年位」だと認識して戦後に復興に励んだに違いない。

当時は現代の様な住宅ローンサービスも無く、親族で金を出し合って家を購入する形である。つまり家は親族のモノという認識で、個人が管理するモノではないので維持管理期間については考察していない。

図を見ると、当時の人達は「子供」にのみ集中して対人関係を築けば良いことがよく分かる。新しい家族付き合いは「七五三」辺りで終結する。当時の結婚と言えば「子供」を作る事が最大のテーマであり、新しい家族付き合いはオマケ程度という認識であった筈である。

この認識であれば「大家族」という形態で問題ない。親が死ぬまであと少しなのだから「別に家を建ててそこに住もう」という発想が必要ないのである。付け加えると介護という概念は勿論ないし、老後をどうするか?を本格的に検討した家作り、人生設計をした訳ではなさそうである。

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次に1980年に30歳になった人たちを見ていく。つまり1950年頃生まれ、丁度「団塊世代」と呼ばれる世代の人生設計の考察である。この頃は日本の発展と共に平均寿命も75歳位まで伸びた。この「人生75年」の人生尺で家族計画だったり、経済計画を建てたはずである。豊かになり、個人で家を建てられる様になった。30歳辺りで家を購入したとすれば、家の維持期間は45年であり、自分を産んでくれた親は20年の余命、孫が生まれて15歳になる頃に自分の人生は終わるだろう…という認識の元、建てられた人生計画である。

こう見ると、団塊世代は子供が薄毛を気にしだす頃になるまで面倒をみる事になる。新しい家族付き合いを上手いこと20年程付き合うためにもお歳暮には毎年気を使わなくてはならないし、孫の流行りをリサーチしておもちゃを買い与えたり、お年玉を入れるぽち袋にも気遣わないといけない。この頃の「結婚する」は「自分の子供は勿論大切にするが」「親族付き合いも大切にします」を意味していたのである。

新しい家族付き合いが20年となると流石に「大家族」形態では問題が発生するようになる。夫婦なら20年を耐えられるが、どこの馬の骨か分からないよそ者と20年をすごして問題にならない方が珍しいだろう。「円滑な親族関係を保ちつつ、それぞれの家族がストレスなく」住めるように、家族単位で家を持ちたいという「核家族化」の要求は自然な流れである。この頃には住宅ローンサービスが拡充され、家を購入することが容易になった。年金も整備され「老後」という概念も定着する。

しかし75歳と言えば介護の心配を本格的にする直前の年齢である。例え「介護」という認識があったとしても介護を前提とした人生設計はしなかったであろう。この頃でもまだ「介護問題」を本格的に考え始め、人生設計を建てた人は希少種なのである。



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最後にこれからの日本の主力である2010年に30歳を迎えた人達を見ていく。この人達は1980年に生まれ「高齢社会」を実感しつつ成長してきた世代だ。平均寿命で男と女で5歳ほどの差があるが、ここでは切り良く85歳だとしたい。この年齢までくると「ひ孫の顔を見てから死ぬのが当たり前」という状況になる。子供が一人ならひ孫まで含めて新たに発生する親族関係は3で終わるが、子供を2人産めば6、3人なら9にもなる。こうなってくると親族の顔を覚えるのにも一苦労だ。もう一度いうがこれが当たり前なのである。


結婚先の親との関係は自分が禿げた頃にようやく開放される。20年間なら頭を捻ってお歳暮のネタを用意できるが、流石に30年となると尽きてしまうかもしれない。お歳暮も大問題だが、最大の問題は「親の介護問題」だ。この平均寿命になると否応なしに「介護」を含めた人生設計を考えなければならなくなる。30歳でバリバリのサラリーマンが「動けなくなった親」の将来を見据えて今から動き出しているのである。

どんな時代であれ「親を見捨てる」なんて事は出来ない。来たるべく「親の介護」時期を見据え、住居なり職業なりを整えた人生設計を構築しなければならない。つまり親不幸をしない為に自分の夢や、やりたい仕事を放棄する若者が増えてもなんら可笑しくはないのである。

住居選びの考え方も大幅に変わってくる。日本の厳しい四季、雨風、台風、地震にも耐えうる住居というのは精々50年が限度である(個人的な考え方だが40年でも危ないと思ってる)。これ以上を計算にいれた人生設計をすると、人生の最期が悲劇的に終わる可能性がグンと高くなるのは間違いない。しかし今の30歳はあと55年生きる…つまりどうあがいても家の寿命が先に来てしまうのである。従って、今の若者は長寿故に「一生住める家」という概念を持てなくなった。

持ち家を持ったとしてもそれは人生の大半を過ごす空間であり、人生の終末は別の空間で過ごすのが当たり前なのである。こういう長寿人生に置ける家の考え方は2つある。一つは年齢に合わせて借り家で暮らしていくというスタイル。もう一つは安い住居を複数購入するスタイルだ。将来は何方が主流になるかは分からないのでここでは選択肢を上げるに留まるが「慣れ親しんだ家で死ぬ」という概念は既に崩壊しつつある事は間違いない。


親族関係も大幅に変わるだろう。現在の認識が将来もそのまま通じるとすれば、自分の子供は勿論、孫の成人までお年玉を与え続ける事になる。ひ孫まで含めれば最低でも45年間お年玉に悩まなくてはならない。最初に述べたが、ひ孫まで含めると親族関係も増え、お歳暮やら祝い金やらの出費が異常に膨らむ事になる。もし経済的に耐え切れないとすれば、親族関係をどこかで打ち切らなければならない。つまり「おじいちゃんの家に行けばお金を貰える」という発想はなくなり、「僕はおじいちゃんの孫だけど、関係ないよ」と孫に言われる日が来るかもしれないのである。ましてやひ孫なんて…である。赤ん坊を抱いて写真を取り、それっきりの関係…というのは十分にありえる。

これは若者が親族関係を自由に選択出来る時代が到来した事を意味する。子供との関係を打ち切って、孫だけ相手するという発想もできる。ひ孫ができたら、孫との関係を打ち切ってひ孫だけ相手するという事も平気で起こりえる。関係を一度打ち切ったが、再度関係を結び直すというのも十分にあり得るのだ。こういう発想をして行かなければ55年にも及ぶ親族関係を円満に運ぶことは出来ないのである。