話し合いのコスト

昨年「今年の夏、電力はどうなる!?」という事で騒がれ、今年も「電力どうなる!?」と騒がれた。おそらく来年も再来年も同じ様な話題に沸くのだろう。しかしどんな「新エネルギー」が決定されたとしても運営する様になるまで月日がかかる。例えば火力発電であればスムーズに建設されて10年程度、遅ければ15年程度かかる。火力発電の場合技術が確立してるからこの程度の期間で済むのであって、新エネルギーの技術開発からスタートするのであれば更に時間はかかるだろう。

というのが現状の認識なんだが…
果たしてこの前提は正しいの?


例えば火力発電所の場合、技術が確立されているから実際の建設期間は2年半で済む。従って実際の建設期間の3倍に当たる7年半の時間は、技術とは全く別の問題の為に費やされた訳だ。真っ先に思いつくのが環境への影響を調べる為の時間なんだけど、調査からデータ公表まで精々2年もあれば終わる。

という事は近隣住民への理解だとか、市への挨拶だとか県庁に出向いて説明したり、関係各庁に許可だったり認定されるまでの時間で5年以上掛けてる計算になる。つまり発電所を立てる為に費やされる時間の大半は技術問題とか環境問題とは全く別の「話し合い」の為に使われている事になる。建設以外に掛かった費用も含めて我々は「電力料金」として支払っているのだから、この「話し合い」期間をスルーする訳にはいかないだろう。しかもここは世界一人件費が高いと名高い「日本」である。人件費について相当にセンシティブに考える現代だからこそ「話し合い」期間の中身も厳密に監視されるべきである。


★★★

従って政府や我々が”全エネルギー”を投入すべき事はこの「話し合いのコスト」をいかに削減するかである。少なくとも政府はこの「話し合いのコスト」が

  1. どれだけの額で
  2. その中身はどういうモノであって
  3. 総建設費の中でどれだけの割合を占めているのか

を公表し、国民の判断材料の基礎資料として提供すべきだろう。

野田総理が「2030年代までに原発ゼロを〜」とノンキに語っているがそれまでにかかる莫大な話し合い費用は全額、利用者、納税者が負担する基本的な事実を我々は見逃しているのではなかろうか。例えば中身を精査したら「事前調査費9兆円」「対策費一兆円」と分かったらどこを削減すべきか一目瞭然だろう。現在は「恐らく10兆円かかるから、皆さまご負担宜しくお願い致します」と言ってる状態なのだ。つまり今の情報体制ではリアクションすらとれない。「話し合いのコスト」が妥当な額がどうか知る術がないのだ。


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第二に「話し合い」のルールを確立し、そのルールが正当性をもち得るのか否かを国民に問うべきだろう。言うまでもなく「話し合い」には前提が必要であり、次に話し合いの対象の明確化が必要であり、その話し合いの結論が多数決の決定によるものなのか全員一致によるものなのか…この点も明確にすべきである。

とりわけ、日本のエネルギー総消費量は予め分かっている状況なのだから「この様な条件なら原発ゼロを目指すが、そうでなければこれからも原発を運営していく」という基準設定、決定方法は2012年現在でも出来るはずである。

なにも難しい事は言っていない。会社で例えれば「”利益率6%超なら事業進出する」を合言葉に市場調査をした方があらゆる面で効率的に事が進む”事を確認しているだけだ。市場調査の前に「利益率6%超」という「ルール」は決められる筈であり、難しい知識も市場調査も必要ない。必要なのは会社運営のコストの理解だけである。もしこの合言葉なく市場調査をすれば莫大な「無駄な情報」が飛び交う事になる。話し合いのルール、決定方法が存在しない為である。「価値ある情報か否か」は全て話し合いのルールに依存する事で、もしルールが無ければ利益率1%の市場調査も存在意義があるかのように錯覚してしまう。

ルールなき模索は莫大な無駄を産む。この国は莫大な「無駄な情報」を集めてそれを納税者に支払わせようというのだろうか?これもまた無駄な「話し合いのコスト」である。


★★★


以上の事が出来るか出来ないかは、日本御自慢の「技術」の問題でも外国の「資源高」の問題でもない。むしろ「思想」の問題と言えるだろう。日本には「思想がない」「ビジョンがない」などと良く言われるがそれでも問題が起きなかったのは、終戦直後に「先進国」という思想モデルがあった事、そしてなるべくスムーズにそれに追いつけば、追いつかねばならないという国民的同意がその背景にあったからである。従って、先進国に追いつくまでの政府の役割は「思想」を明確化する必要がなく、この国民的同意と思想モデルに乗っかっているだけでよかった。だがその時代は既に終わったのであり、今日の国内情勢は今までのやり方ではあらゆる問題が対処出来なくなったという事実を裏付けるものでしかない。


では我々はどうすべきか?
それは現在の状況に対処する為には、現在がどのような状況であり、どのような行動をすべきか、それをしなければどのような状況に追い込まれるのかを明確に国民に訴える事と、それを求める我々が「思想」を確立させる事だ。