遠隔操作ウイルスにみる、近代日本の言論統制

遠隔操作ウイルスが世間を騒がせて一週間程立った。新聞やテレビ局がこの問題を積極的に問題を取り上げている事からも、問題は非常に深刻だという事がわかる。事件の詳細を知ると被害者は「URLを踏んだら遠隔操作ウイルスに感染し、暴言を書かれ逮捕された」と証言している。という事は誰でも遠隔操作ウイルスに感染し逮捕される可能性があるという事である。我々は「URLを踏むと逮捕される」というリスクを負いながらネットサーフィンをしなくてはならなくなった。今時は短縮URLだから見えない地雷地帯を歩いている様なもので、相当に気をつけなければならない。


ここで問題です。


この問題はどっちが原因でしょうか?

  1. 悪質な遠隔操作ウイルス
  2. ネット環境の変化


★★★

「遠隔操作ウイルスが問題だ!」という答えは的外れ。というのも遠隔操作ウイルスそのものは10年以上前からあるから。遠隔操作ウイルスが問題なら10年前から同じような事件が存在している筈で、当時も深刻な社会問題として積極的に議論された筈である。

しかしその様な事実はない。
というのも当時のネットは「小学校を爆破する」という犯行予告をしても、誰も問題として認知しなかった。10年前といえば2chの創設者ひろゆき氏が「嘘を嘘を見抜けない人はネットを使えない」という名言を言った時期である。当時のネットは嘘も真も玉石混淆なのが当たり前であり、犯行予告の書き込みがあったとしてもスルーされるのが当たり前、問題として取り上げられるのは常に「犯行後」であった。


変わったのはネット環境の方だ。
というのも少なくとも2012年現在のネット環境では「嘘を嘘と見抜けない人は〜」というのは通じない。嘘を付けばそのブログは炎上するし、暴言を吐けば誹謗中傷なコメントが大量に届くのが当たり前である。「犯行予告」だけで捕まるという認識そのものもここ2〜3年の流れではないだろうか。

つまりこの事件はネット環境の変化に呼応するようにして出現した、2012年の日本のネット環境ならではの事件なのだ。


★★★


ここで問題の見方を変えてみる。この事件は

  1. 技術的な問題
  2. 思想的な問題

のどっちでしょうか?

答えは「思想的な問題」である。「犯行予告だけでも逮捕されるべきだ」という思想的要求が日本の中で強力にあったから犯行予告だけで逮捕される社会が完成した。そしてそれが当然として機能していた時に「愉快犯」とも言える本事件が起き、我々は「我々の思想が招いた欠陥」に恐怖するといった事態になって大変だ大変だと騒いでいる訳である。


思えば「犯行予告」だけで一発逮捕されるというのは相当強烈な規制である。
例えば万引きは立派な犯罪であるが、逮捕される事態になることはそれ程多くない。大抵の場合、店でも警察でも注意を促して終わりであり、少なくとも「一発逮捕」という状態ではない。「一発逮捕」が当たり前だというのは例えば強盗とか、殺人、ネグレストとかであろうか。勿論これらでさえ「実行前」に逮捕される程には規制されていない。こう考えていくとネットの犯罪予告に対して日本社会は相当センシティブに考えてる社会だと言える。


「実行前」であろうが逮捕される…という風情を聞いて最初に思い出すのは、「治安維持法」だ。危険分子ならば事前に排除されても構わない、考えるだけでも大罪であるという思想があの様な悲劇的な悪法を世に生み出してしまった。



いつの間にか、近代日本も強烈な言論統制を当然とする時代になったんだなぁ…