社会を変えないIPS細胞。社会を変えるバイオ技術

バイオ関係でホットな話題と言えばIPS細胞だろう。その中身も仕組みも今後の展望も大分理解している。私自身がバイオサイエンス卒だから、世の中にバイオサイエンス技術が認められるというのも大いに喜ばしい。


だが、IPS細胞が世の中を変えるというのはにわかに信じがたい。その手の話は1981年のES細胞技術が世に出た時も盛んに言われた。結果は社会の陽の目を見ること無く、研究者の材料としての役割しか果たせなかった。およそ30年という月日を経てIPS細胞というイノベーションが起きた為である。

勝手な予想だが、IPS細胞もES細胞同様の結末を迎えるのではないだろうか?確かにIPS細胞を使って新たな実験系を作れるし、新しい新薬創出の助力にもなる。だが、所詮その程度である。我々の生活を劇的に変える代物ではない。変わるとすれば数十年の月日が必要だし、その数十年の月日があれば次世代のイノベーション技術が発生するには十分過ぎる。そのイノベーション技術が我々の生活を一変させる主役かも知れない。

IPS細胞はお祭り騒ぎのネタ

現在の所、IPS細胞はお祭り騒ぎのネタとしか機能していない。国民全体を湧かせた、それだけ。

IPS細胞の話題となると「将来再生治療に〜」「まだ治らない病気に〜」等の抽象的で現実感のない発想しか出てこない。堅苦しい話は殆ど出てこない、全くもっておちゃらけている。

私がIPS細胞を「お祭り」と表現するのは幾つか理由がある。

1.現実感がない
祭りは「非日常」を楽しむものだ。IPS細胞にもその癖がある。ただひたすらに明るい話題としてしか認識しない。それはある意味「夢の国」であり「非日常」の世界である。現実感がどこか欠けているのだ。

2.堅苦しい話はいらない
1.で「現実感がない」を上げた。これを修正するような堅苦しい話は敬遠される。祭りで楽しんでる中、現実に引き戻そうとする奴がいたら空気が悪くなる。逆に妄想に妄想で合わせる形にすると大喜びする。

3.現実の生活を一切変えない
IPS細胞が登場する前と何ら変わらぬ日常を送っている。この傾向はお祭りと同じだ。お祭りはやる前とやった後で何一つ生活を変化させない。ただ、楽しい思い出が残るだけである。


結果としてIPS細胞が登場して何が変わったか。研究体制が多少変わったぐらいだろう。勿論、殆どの人には関係のない話である。従ってIPS細胞は社会を変えていないし、変わったと実感する日もこない。精々、受験の問題ネタを増やす程度の変化である。

社会を変えるバイオ技術

個人的に高く評価しているのはダウン症の血液検査である。これは先に上げた祭りの特徴の真逆の性質を持つ。

これから親になる世代全ては勿論、全年齢が一度は真剣に考えなければならない問題である。「赤ん坊がダウン症か否か」というのが生まれる前に分かる。これがどれだけ深刻か。空想や妄想、「そのうち何とかなるよ」では済まない差し迫った問題である。

ダウン症の検査薬を社会的にどう位置づけするか?国はどうするか?法律は?制度は?企業は?地域は?パートナーは?親は?という事が問われる。現実に即した解決策を練る必要性がある。なあなあでは済まない。

そしてこの流れは一方方向である。否が応でもダウン症の血液検査と上手く付き合う方法を考え、実際に付き合っていかなくてはならない。その為に社会制度は大きく変わるだろうし、新たな雇用が生まれるのは間違いない。私達の社会は「ダウン症の血液検査」が出る以前の社会に戻る事は二度とない。


これからダウン症に関しては正しい知識を世間一般に広める努力が懸命にされるだろう。その為にNPOが発足しても不思議ではないし、既に存在しているかもしれない。社会を変える技術とはこういうものなのだと実感させられる一例だ。



★★★★



IPS細胞技術が日本から生まれたというのは嬉しい。
それは間違いのない感情である。


ただ、嬉しいという感情は社会を何一つ変えない。
社会を変えるのは常に一般の方々の真剣な議論である。
今のところ、それを誘発させる技術は常に諸外国で生まれている。

それを日本で産んで欲しい。
バイオ技術はそろそろ「夢」を与えてくれる技術ではなく
「議論」を呼ぶ技術になったら…と思う。