日本の都合の良い歴史認識の仕方

ニュースで度々話題になる歴史認識問題。最近で言えば橋下氏の慰安婦問題等がある。2日前にも国連事務総長歴史認識を問題とする趣旨の発言をして話題になった。
国連事務総長「日本に限定していない」 歴史認識発言 :日本経済新聞


殆どの場合、こういう発言をされると「歴史認識が違うのはお前たちだ」という反発心を抱く。これは「我々は常に正しい歴史認識をしている」という強い自信の現れである。

だがこれは本当だろうか。
例えば日本には不都合な歴史・教育内容を黒く塗りつぶした「黒塗り教科書」という事例がある。戦前の出来事を悪と決め付け、戦後に持ち越さないようにした。勿論、こういった不都合な事実を塗りつぶす慣習は黒塗り教科書だけではない。明治時代では、江戸時代の作法を「古臭い」として一切を切り捨てた。伝統的に教えられていた儒教についても戦後「古臭い価値観」として一層している。

日本には不都合な歴史を「なかった事にする」という一種の伝統があるのは確かである。


今日はそれ以外にも色々と日本の歴史認識方法の危うさが存在するよって事を書いていく。

名称変更で歴史改変

例えば戊辰戦争西南戦争等は改変が加えられた事例である。事件当時、この事件は戦争と呼ばれていない。当時の呼ばれ方は「戊辰の役」「西南の役」である。後世の人々が勝手に戦争へと改変したのである。現代では教科書・ネット上で「戊辰の役」を調べるのも一苦労するレベルで歴史改変を完了させている。


興味深いのは「戊辰の役」が何で「戊辰戦争」へと名称変更したのか、その理由は一切不明で追従不能な点である。本の発行年初を元に推測すると1920年頃には既に名称変更が行われていたようだが…。

確かなのは戊辰の役から戊辰戦争へと変えた事で、当時の人々の考え方・認識の仕方が一切分からなくなってしまった。我々はあの事件の事を戦争のイメージでしか認識出来ない。太平洋戦争・日中戦争・イラン戦争と同じ事を戊辰の時も行ったとしか思えないのである。

勿論、今私が思っているイメージと、事件当時の人々の認識は違う。この差はどこから来るものなのか、改変によって誰にも分からなくなってしまったのである。戊辰の役という呼ばれ方そのまま保存ぜず、戊辰戦争へ名称変更した事によって…

言葉に意味を付け足して歴史改変

長文を覚悟して読んでね。


次の題材は日華事変である。分かり難いが、これは現代でいうところの「日中戦争」の当時の名称である。相変わらず、当時の読み方と現代の読み方がリンクしていない。これでは授業によって当時の人々の認識を追従する事は不可能だ。先の「〜の役」を「〜戦争」と名称変更したのと同じ問題を抱えている。*1

…とまぁ話は置いといて
興味深いのは「事変」の言葉の意味である。

広辞苑第5版によると

(1)警察力では鎮定し得ない程度の擾乱。
(2)国際間の宣戦布告なき戦争をもいう。「―が起る」
とある。*2

問題は(1)と(2)は明らかに違う事象を「事変」の一つの言葉に括っている点である。

恐らく本来の「事変」には(1)だけの意味合いしか含まれておらず、(2)の意味は後世の時代が付け加えた意味だ。というのも広辞苑の「をも」という言葉遣いである。wikiでさえ「にも」という言葉が付いており、後から付けた意味だと推定できる。


言葉尻だけで断定するのもしゃくなので、歴史的観点も加えてみよう。(これが長いんだ)

歴史の流れ
1)日華事変(=日中戦争)の始まる前、日本は北支に様々な権益を持ち、「北支処理要網」に基いて華北五省を日本軍の勢力下の自治区にしようと画策した。勿論、邦人(=日本人)も沢山現地に送った。

2)これに対して冀東政府の保安隊が叛乱し、在留していた邦人を虐殺する事件が起きた(=通州事件)※

※当時、日本は治外法権を持っており、領事官が警察権を持って外国の土地を治めていた。これを領事官警察といい、邦人の保護にあたっていた。もう一つ付け加えると盧溝橋事件も同じ月に行われている。

要は日本人を保護する現地警察がいたにも関わらず、警察の手に負えず、日本人大量殺害が起きた事件が通州事件である。

通州事件の様な場合上記の
(1)警察力では鎮定し得ない程度の擾乱。
に該当する。ここから発生した一連の事件を日華事変と呼ぶのは当然だ。*3

警察の手に負えない事件が起こった…単なる事変に過ぎない。これが当時の軍部、一般人の認識である。誰一人長期間の戦闘へと繋がるとは考えていなかったのである。

★★★★

「考えていなかった」と断定出来るのは次の問答があるからだ。

対米開戦をめぐる昭和天皇との以下のようなやりとりは有名である。
帝国国策遂行要領決定時に「もし日米開戦となった場合、どのくらいで作戦を完遂する見込みか?」と対米戦争の成算を昭和天皇に問われた参謀総長の杉山は「太平洋方面は3ヶ月で作戦を終了する見込みでございます」と楽観的な回答をする。

これに対して天皇は「汝は支那事変勃発当時の陸相である。あのとき事変は2ヶ月程度で片付くと私にむかって申したのに、支那事変は4年たった今になっても終わっていないではないか」と語気荒く問いつめた。
杉山元 - Wikipedia

お偉いさんでも日華事変に対して2ヶ月程度という認知である。一般人ならば一ヶ月程度…或いは数週間程度で終わるだろうという認知でも可笑しくない。その程度の認識だった事は間違いないのである。

一ヶ月程度…或いは数週間程度で終わる事件を初めから戦争と表現するだろうか?私には(1)警察力では鎮定し得ない程度の擾乱、言葉を換えれば「事件よりちょっと大きなイザコザが発生した」という認知で致し方無いと思う。事変という表記が調度良いと思うぐらいだ。*4

★★★★

結局、事変という認知の元で始まった事件が「思わず長期化」していった。推定では2ヶ月だったものが9年にも伸びた。いつの間にか事変という規模で収まらなくなったから後付で
(2)国際間の宣戦布告なき戦争をもいう。「―が起る」

という意味を事変に含めたのであろう。
全てが終わった、現代の視点からみて矛盾が起きないように言葉に意味を付け加えたのだ。


言葉に意味を付け加えた。これは大罪である。
これによって当時の人々の認識が全く分からなくなってしまった。「正しい歴史認識を不可能にした」のである。

現代「何で日中戦争日華事変と呼んでいたのか?」議論を見ると「戦争と表記すると国際法に引っかかってめんどくさくなるから、わざと事変という言葉を選んで国際社会を欺いたのだ」というのが主流だ。

果たして本当だろうか?その様な魂胆を当時の人々は明確な意志を持って実行していたのであろうか?
あり得ない。それは当時の人々の発言を見れば明らかだ。


だが、後世の人々が事変に
(2)国際間の宣戦布告なき戦争をもいう。「―が起る」
という意味を付け加えたもんだから、非常に説得力のある意見へと変貌した。今でも学校でその様に教えている教師は多いし、公共の場でもその様な趣旨の発言をしておけば知識人ぶることが出来る。

それが「正しい歴史認識」なのか?否。正しい歴史認識とは「当時の人々の理解・認知」を再把握することである。だが言葉に意味を付け加えてしまった為に、「当時の人々の理解・認知」を正しく理解する事は著しく困難になった。

言葉は進化する

長々と書いたけど「言葉の意味が変わる」というのは現在でも良くある話だ。現在でも「日本語は進化する!」という認識は当然だ。ら抜き言葉も当然の文法となった。マナーも時代とともに進化している。これからも日本語は進化を続けるだろう。

だが「言葉は進化する!」と認識している癖に「言葉の進化前はどういう意味だっけ?」「この言葉は当時どういう意味なんだっけ?」という視点は欠けている。我々の生活の中では「流行語」というのが次々と作られて、次々と捨てているが極当たり前だが、言葉の意味合いも「次々と現代風にアレンジして」「過去の意味合いは次々と切り捨て」が当たり前だからだろう。

「当時の辞書を引っ張ってきて当時を調べてみた」という議論はほぼ皆無に等しい。当時の手紙であれば当時の辞書を使って意味を把握すべきなのだが、当時の手紙を現代の辞書で把握するからおかしな話になる。当時の言葉の意味合いで、歴史を把握する癖がないのでどうしても事件当時の認識とはズレた歴史把握をしてしまう。史実とは微妙にズレた歴史認識なのである。

この事を我々自身がよく理解している筈である。巷に溢れる本に「◯◯事件の本当の真実」とか「◯◯事件に隠された闇」「教科書では教えてくれない◯◯」等がズラリと並んでいるのが証拠だ。教科書に乗っている出来事をそこまで信用していない節が我々には確かにある。

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まとめ

もう一度今日のおさらい

  1. 我々は伝統的に不都合な真実をなかった事にする「黒塗り教科書」的発想がある
  2. 我々は事件当時の呼び名・名称を勝手に改変する癖がある
  3. 我々は言葉の意味を常に進化させ続け、昔の意味合いは切り捨て続けている

現代の感覚に合わせて、都合の良い様に歴史を認識しているんじゃないかと疑いたくなるね。

*1:因みに名称変更が行われたのは1970年ぐらいらしい。

*2:ネット上の辞書ではこれらに
(3) 天変地異や突発的な騒動などの、非常の出来事。変事。
が加わっている。

*3:日支事変・支那事変ともいっていたらしい。

*4:恐らく満州「事変」という表現も同じ理由だ