炎上の種

楠木正成の墓を綺麗にしたのは水戸光圀水戸光圀楠木正成を非常に高く評価したのは間違いないだろう。他人の墓を、それも荒廃した墓を立派に立て直す動機はそれ以外に考えつかない。


ここで数点の疑問が残る

1.水戸光圀が「天皇絶対」の思想シンボル楠木正成を評価するという矛盾だ。言うまでも無く、水戸光圀は徳川家の重要人物である。権力の絶対的立場にいる人間が「天皇絶対」思想を評価するという事は自らの権力そのものを否定する行為といっても過言ではなく普通あり得ない。徳川家末端の人間が楠木正成を評価し、遂には幕末の志士へ広がるならが分り易いが、権力ピラミットの頂点が自身を否定し、幕末に崩れたのか…

2.どうやって楠木正成を知ったか。たまたま楠木正成の墓を見つけ、部下から話を聞いて感動し、思いつきで墓を綺麗にした訳ではあるまい。水戸光圀楠木正成の事を相当知っていたのである。「知っている」といっても本を読んで知ったという浅はかなモノではなく、深く思想を深めそれを理論立てた結果必然的に楠木正成を知ったという形だろう。即ち「自らの理論の実践者」として楠木正成を見た訳だ。墓を整え直すにはそれぐらいの背景がないと逆に可笑しい。

3.どうやって楠木正成の存在を広めたか。よくよく考えれば「有名人が墓をキレイにした」という話は昔も今も良くある事で、これだけで天皇絶対の思想は広がるとは思えない。


★★★

ここで問題を整頓する。

1.は水戸光圀の思想の問題。
2.は思想をどうやって深めたか、誰が教育者か。
3.は伝達手段


従って2.を紐解けば1.も同時に分かる。

3.については問題ない。水戸光圀の場合「水戸学」という強力な伝達手段があるからだ。


水戸光圀の師匠を探せという事である。


★★★

死んだ時、自らの墓に書く文字は何か…それは自らの人生を示す様な性質になろう。もしそれが他人の言葉ならそれは人生の師匠と言っても過言ではない。

朱舜水は正にそのような人であった。

水戸光圀の墓の表文字は朱舜水が推敲し、裏文字は朱舜水の文章そのものである。更に朱舜水の墓は水戸光圀の墓の近くという超異例待遇である。水戸光圀にとって朱舜水がどれだけの存在かこれだけでも分かる。


では朱舜水はどういう人か…これこそ全くもって「絶対主義」の思想の塊そのものだ。天皇絶対の思想とは非常に相性が良い。詳しく精査すれば朱舜水もまた楠木正成を評価した形跡が見つかる筈だ。楠木正成の銅像の文章も漢文だがこれも朱舜水の影響なのだろうか。




種は大体分かってきた。後はこの種がどの様に芽を出し花を咲かせ実をつけ現代のサタンとなったか…である。生態系を知れば対策は可能だ。