信と知
「安全と安心の違い」という考え方がある。
簡単に言えば安全とは論理的・体系的な知識に基づく「知」の問題であり「この水の塩素は何%で、国の基準を満たしています」という形で宣伝出来る。
安心とは心理的な心情に基づく「信」の問題であり、論理的・体系的な知識は役に立たない。極論すれば「博士があらゆる知識を用いて安全だと言っても信頼出来ない」「でもかあちゃんが言うんだから大丈夫だ」という形になる。
前回までに判明した天皇絶対という思想においてもこの発想が適応できる。
★★★
そして適応すると「果たして同じ種から出た花なのか」「自分は全く別の種を見つけただけなのではないか」という疑惑が出現した。
朱舜水は中国から生まれた天才であり、体系化された知識を以て「今の中国は夷狄の国だ」と判断し日本へ亡命した。これは明らかに「知」に基づく判断であり「信」ではない。そして水戸光圀もこの「知」に感銘して水戸学なる体系化された知識を自ら構築した。つまり天皇絶対の思想はその原初において「知」を問題として出発している。
しかし最も最初で述べた問題は「小保方氏を批判する者はSTAP細胞の知識は皆無で、批判の理由でさえ曖昧」である。これは批判者の「信」に基づいた判断であり「知」ではない事を示す。朱舜水の様に「知」で批判していないのだ。
種は見つけたが、そこから咲いた花は全く異なる性質を示した。
…自分の見つけた種は全く見当違いだったのだろうか。
★★★
こういうパターンはバイオサイエンスの中では結構ある。要は「ある現象の表現型を見て遺伝型を突き止めたが、どうもその遺伝型だけでは説明しきれない」という場合である。
この場合遺伝型と表現型が一致しないのには幾つか考えられる。
- 表現型を決める遺伝型:要素Aとしては正しいが、同時に要素Bも加わらないと同じ表現型にならない。
- 要素Aは酵素反応の経過でA'へと変化するが、実験ではAとA'が同じモノとして処理されている為気が付かない。
- 要素Aは酵素反応の経過でA'へと変化するが、この酵素の出現or反応条件を満たしていない
- 1.と2.双方
- 要素Aは反応経路αの経過途中
…etc
要は「可能性があるから、あらゆる可能性を試した後でなければ違うとは言えない」訳である。この発想をこの問題にも当てはめてみよう。
朱舜水死後(1682年)から幕末(1853年:ペリー到来)までの間に思想が変化したのか。思想に変化が生じるまでの期間としては申し分ない。*1
更に思想の発展としては他にも朱子学、国学があり、本地垂迹思想や根本江枝葉果実説など、朱舜水思考を巧みに組み替える発想の下地(要素B)は十分にあると言っても良い。
ならばこの考え方をもう少し詰めていくしかあるまい。…とは言え、風呂敷を広げすぎると課題解決出来る気がしないので要素Bの探求はしない。あくまでもサタンの追求を行い、「朱舜水の変異思想」を追うこととする。*2
★★★★
今回の思索の結果、良い事が分かった。
サタンの正体である。
コイツは「信」の問題を極端に肥大化させた存在だと考えられ、この状態に陥ると「知」を「知」として受けない。「知」の問題を「信」の問題へとすり替え「お前はその知識を信じるのか、信じれば仲間はずれだぞ」という形で踏絵として「知」を利用するのである。
「信」に対する「歯止め」は何であろうか。信とは言わば妄想であるから信の肥大に限界はない。あるとすれば現実の生活に支障を来さない範囲が一応「信」の肥大限界であろう。しかし、現実の生活に支障が来さない場合はどうであろうか?極限まで肥大化しても何らおかしくない。。
仮説として
近代化の影響により己の現実生活に支障が来さない場面が飛躍的に増え
結果として「信」の肥大化、「知」の軽視といった状態が出現し
「炎上」という名のサタンが猛威を振るっている。
これは己の現実生活に何ら支障を来さないから事実上「歯止め」はない。
なかなかいい感じ