無宗教ってめんどくさい

日本人ならば「宗教は?」と聞かれたら「無宗教w」と言うのが一種のお決まりになっていますね。むしろコレ以外のセリフを吐いたら次の日から偏見の目で見られるのは間違いない。


大抵、無宗教の理由は

  • 日本には「信仰の自由」があるんだよ
  • 宗教とか陰気くさい。俺は開放的に生きたいんだ
  • 神wwww
  • 俺は寄付とかしたくない

とか。


そうした無宗教の人でも、皆「何か」を心の支えとして生きているのは間違いない。身近な例で言えばそれは親だったり、彼女だったり、会社だったり、「仕事の後のビールww」だったり色々だね。今の生活をする上で「失っては困るモノ」というのが心の支えの「何か」の正体かなと考えます。「失っては困るモノ」が失われていないからこそ、人々は不安から解き放たれ安心して日々の生活に打ち込む事ができ、高いパフォーマンスを発揮することができます。


宗教で言えば「何か」とは神に該当します。無宗教の人々にも心の支えである「何か」が必ずあります。心の支えとして機能している「何か」のラベルが違うだけで、本質は数千年前からある宗教となんら変わっちゃいない。人ってそんなもんさ。


★★★★★


日本の大多数が「無宗教」を名乗ることが日常の生活を不自由にさせ、変化を乏しくしている原因なんじゃないかなと


先ほどの例で言えば「親」「彼女」「仕事」「商品」(ビール)が無宗教の人々にとって心の支えとして機能していると説明しました。これら全てに該当する事は心の支えとは「現実に存在するモノ」であり、「いつか必ず失うモノ」だという事。無宗教を名乗る人々は「現実的なリアリスト」とも言えますが「失うことを前提とした」考え方だと言えます。


逆に宗教とは信仰する神が「妄想の世界」ですから「失うことはあり得ない」です。一神教多神教も基本的には同じかな。


本来「現実に存在するモノ」を心の支えとして信仰する場合、当然「失う覚悟」というのが必要となります。精神的辛さを考え、失う覚悟を十分に持った上で無宗教を目指すべきでしょう。しかし現実の日本を見ると「失う事」を極力避けるか、はじめから考えていない形で物事を進めている様にに思えます。それどころか「失う事は悪いことだ」かの様に錯覚させられます。ここではその理由については別にして「失う事」を私たちは良いことだとは感じません。「現実に存在するモノ」は「いつか必ず失うモノ」ですが、無宗教の人々にとって「失っては困るモノ」で「心の支え」ですから失われる事の無いように必死に守り、思考停止して問題を先延ばし、現実から逃げまわってる様にしか思えません。


欧米ではExit戦略といって「初めから撤退する形」を明確にしてから物事を推し進めるのに対し、日本で同じ事をやろうとすると「不謹慎」だとか言われてしまいます。ではどうすれば「失う事を考える必要がない」状態が可能になるかと考えると、結論としては「変わらぬ顧客」「変わらぬ市場」「変わらぬ価値観」を維持し続ける事でしか達成出来ません。


それって閉鎖的な鎖国を目指すって事だよね。

★★★★★★


無宗教に人々に「失っては困るモノ」として頼られるって結構だるいんだよね。なんていうか無言の内に逃げられない状況に追い込まれてしまうから。


例えば「彼女」とか。俺の事を信じる余りに逆に俺は彼女を裏切ることが出来ない。だって俺と別れたら彼女がどんな状況に追い込まれるのか何よりも知っているから別れるなんて出来ない。

こうした関係って恋愛だけじゃなくて仕事でもいえる。
「俺がいなくなったらこの会社はどうなる」とかその典型例。これは自身が「失っては困るモノ」だと考えてるから出来る発想。別に人一人いなくなったぐらいで会社が傾くとかそんな会社どの道潰れんじゃねーの?って思うんだが。意外とこれを合言葉に仕事をこなしている人が多い様に思える。




無宗教ってめんどくさい。