論語の楽しみ方

近い感覚で言えば「機動戦士ガンダム」的な楽しみ方といえばいいのだろうか。小さい時は「ロボットがハチャメチャしていて面白い」で大人になれば「複雑な人間模様だったり、国家間の争いだったり」という形。それぞれの立場、見方、背景によって得られる感想がそれぞれ異なるからこそガンダムは幅広い層に支持されたんじゃないかと理解している。ジブリ作品もそういう面があるんじゃないかな。

そういった意味では論語は物凄い。論語にはそもそも立場、見方、背景が存在しないのである。平凡な言葉で言えば「この会話は道端でボソリといったのか」「会議の場で言ったのか」「友人に相談されて言ったのか」「ガンダムにボロクソにボコされて言ったのか」「オヤジにも無くられたこと無いのに殴られたから言ったのか」という状況設定が存在しない。面接の場で相応しい会話は、日常の場では堅苦しくてふさわしくないといった様に、会話とは「その会話に相応しい状況」がなければ相手に共感なり感動なりを伝える事は出来ない。だが論語には「子曰く」で始まる章が余りにも多く状況設定が分かる章は皆無と言っても良い。論語は会話を成立させる状況設定が存在しない特異的な本である。

従って必然的に論語を読むには「会話の状況設定を個人個人で補完する」という事になる。これまた平凡な言葉に言い換えれば「飲み会で失敗した時」「友人にキツく当たってしまった時」「恋愛で失敗した時」「会社で昇進した時」「リストラした時」に論語を読むとそれぞれ得られる感想が違うという事である。見方を換えればありとあらゆる場面に対応可能な訳で、スルメイカ的な「噛めば噛むほど味が出る」書なのである。

私自身もこの書の力で幾分救われた。最近作ったアプリでそうなったのだが、挫折しかけた時に論語を読むと尻を叩かれる様な気持ちになるのである。「論語をアプリに落としこむ作業」状況であれば繋がる事のない章と章がリンクされ真意がフラッシュバック的に理解出来て震え上がる事が2〜3度あった。論語の楽しみ方とはつまりこういう事なのだろう。状況が変われば感想もまた変わる。教科書的な唯一解ではなく、それぞれの人生の状況に応じてそれぞれ感想を換えれば良いのである。

★★★★

とはいえ、それは理解し難い境地でもある。
それぞれの人生に応じてそれぞれ感想が異なるという事は単純な話「私」と「貴方」では感想が違う訳だから「共感」が得られ難い。何よりもこの境地を味わうには少なくとも論語を数回読む必要がある。一度目は論語の内容を知るために。二度目は今の状況の答えを探すために。三度目は状況が変わった時に答えを探すために。コンテンツの移り変わりが激しい現代社会では何とも悠長な話である。

そういう理由で「状況設定を私の方で補完しときましたよ」的な本が多いのだろう。代表作は渋沢栄一論語講義、論語と算盤辺りである。要は論語には状況設定がないから「渋沢栄一という状況設定の元で」論語を楽しもうという試みである。これは確かに面白いし状況設定が明確なので「共感」が発生しやすく理解も進む。

しかし状況設定が明確であればあるほど、応用範囲が狭くなる。渋沢栄一という普遍の状況設定がある以上、10年後も20年後も同じ感想しか言えないのである。渋沢栄一という状況設定は理解しやすいというメリットが発生するが、固執すればするほどに論語本来の「変幻自在な楽しみ方」が失われるというデメリットも発生する。

そういえば江戸時代には「論語素読」が行われていた。「意味も分からず読み込ませるなんてなんて非効率な」とも思ったが、今思えば論語とは元来そういうものである。論語と算盤の様に状況を固定化する方が変化球的な楽しみ方であって「論語の言葉を渡すので後は各々で状況設定して学んでね」というスタイルが論語を直球で楽しむ方法である。


★★★★

論語を楽しむ上での問題点をサラッと上げれば次のとおりであろうか。

  1. 長い(499章ある)
  2. 何度も読む必要がある
  3. 状況設定の確認がダルい

特に3番がキツイかな。これって要は自己点検だ。案外自分を把握していないのが自分だったりするので、論語を読む度に自己点検しろというのは中々難しい。イヤになる。


という事で自分が作ったiPhoneアプリの紹介です(直球)。

現代社会で最も「自己点検を気軽に行える時」はいつか?日記を書いている時だ。それは1日のふとした事の記録だから。就活の様に「私の大学生活は一体どうだったか?」という3〜4年間の壮大なスケールで答えを出す必要がない。あくまでも一日の記録だから日記はお手軽である。日記でめんどくさいのが題材を探す事くらいだろう。

日記は題材があれば簡単に記録出来る。
論語は自己点検が出来れば相当に楽しめる。

つまり論語と日記は相性が良いのだ。論語側から言えばまたとない自己点検機会を得る。日記側から言えば論語という題材があるから気軽にかける。論語と日記はそれぞれの弱点を補完しあう関係にあるわけである。本アプリでは「今日の論語」という機能があってこれが日記の変わりとなっています。論語を題材として日記を書くのは面白い、「ぐぬぬ…」という感想が真っ先にくるのでいつも耳が痛い。初めて数週間だが振り返るのが楽しみである。

もう少し言えばiPhoneアプリという形態は論語にとって色々とメリットがある。一つは論語を全部収録した本は軽い国語辞典的なサイズになるのだが、これがいつでも持ち運ぶiPhoneの中に入るのだから全くもって便利である。
もう一つは「iPhoneって意外と多く文章量を読める」っていう基本事項。なんでもそうだが本を50ページ読むのは意外とキツイ。しかしiPhoneだと同じ時間でもサラサラと100ページ位読んでたりする。何度も読む必要がある論語としては元々iPhoneアプリと相性が良かったのかもしれない。


詳しくはiTunes Store