日本の職業観

「日本の組織のあり方」と「アメリカの組織のあり方」は大きく異なります。
例えばアメリカでは企業体質を改善するために大量解雇というのは大企業でも日常茶飯事で、もはや現地では違和感も感じない状態でしょう。しかし「企業体質改善の為に大量解雇」という発想は日本ではあり得ません。
これは職業観が違うから…としか言いようがありません。

では日本の職業観とは一体何か?
歴史的な面から言えば日本の働き方の概念は徳川時代に完成した「忠孝」の意識、今風で言えば「社員を家族と思う」という意識に集約されるでしょう。今でも「利益を度外視しても社員を守る」社長はサイコーだし、「子供が金のかかる時期になれば自動的に昇給する」環境はサイコーです。

逆に「我が社は実力主義」といって本当に実力一つで昇進が決まり、不要だからとバシバシリストラさせる社長がいたら、毛嫌いする・違和感を持つ…という反応を示すのが普通です。更に言えば短期間で次々と社員を入れ替えていく「ワタミ」式の雇用形態は、拒絶反応を示して絶叫するのが当然だと考えています。

これらの反応は「我々の職業観によればその価値観は受け入れられない」から発生しているのであり、事前に確固たる職業観が存在するから起こりえる現象です。その職業観こそが「社員を家族と思う」精神であり、世界的に見ても稀な発想です。


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では我々の職業観「社員を家族と思う」もっと平たくいえば「家族意識」によって運営される社会とはどんな特徴を示すのでしょうか?これは「家族は何を目的とした組織集団か?」という事を考えれば理解出来ます。



家族の場合、ありとあらゆる行動は「家族存続」の為に行うべきと考えます。それは種族の繁栄を願う生物として当然の欲求です。ありとあらゆる手段を使ってでも家族を存続させるべく活動します。従って全く正反対の思考である「家族を解散する」という発想をあり得ません。解散の可能性を検討する事すらありません。

そして家族は余程の事件が置きない限り身内を見捨てる様な事はしません。問題があれば、家族間で意見を出しあい支えあって生きていこうとします。当然ですが、家族問題ですから「オレシラネ〜」という態度は容認されません。家族問題は家族全員で解決するのが普通です。

勿論、家族内であれば躾やマナーは常に問題視されます。「子供のやった事だから、親は関係ない」とはいえないのです。子供が悪い事をすれば、親が頭を下げるのが常識です。時には子供の罪を親が隠す事もありますが、悪気はありません。

個人が大きな成果を上げても「皆の力で取ったもの」として成果を周りに分配するのが当然で、成果を独り占めするなんてあり得ません。家族の行事には積極的に参加するのが当然であり、慣習を破るのは無条件にアウトです。



これが大体、我々の考える「理想的な家族観」ですよね。同時に何か気が付きませんか?

実は上記の文章の内、家族という言葉を「企業」に変えると、我々の考える「理想的な職業観」へと変貌するのです。これが「企業の忠誠心」と「家族への孝行」をイコールで結んだ忠孝という発想であり、我々が無意識レベルに刷り込まれている発想です。家族と仕事を明確に分類しないというのが日本の特徴なのです。

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同時にこれが日本企業の強みなのですね。何か問題が起きた時、全員が「問題だ」と感じ、行動を開始し、迅速に事を処理するのです。欧米ではこうはいかず、問題を解決すべきは上司であり、部下はどうでもいいという顔をします。日本と比べ「問題だ」と感じる頭数に圧倒的な差があるため、どうしても一歩遅く対応するという形にならざるを得ません。

この行動特徴が全面的に出たのが「オイルショック」であり、この特徴によって日本は他の先進国に先駆けてオイルショックへの対応を済ませたのです。


最近の事例では「東日本大震災」でしょうか。全員が「問題だ」という態度を取り、全員が一致団結して被災地を支援しました。問題が発生した時の日本パワーが遺憾なく発揮された事例です。あの後「絆」というワードが大流行しましたが、私にはそれは忠孝の精神を日本全土に拡大させた姿じゃないかなと思ったりする訳です。そういう訳で、まだまだ日本の忠孝の精神は生き続けているのだと思っておりやす。