一億総中流社会に存在する「存在しない市場」

日本は一億総中流と言われる時代があった。多分20年程度前に作られたキャッチフレーズだとは思うけど、国際社会的にみて「日本より格差の小さい国ってどこよ?」という疑問が湧き上がる程度に今現在も格差はない。

今現在でも多くの働き手はおよそ300万程度の年収を得るが、これは「私は300万プレイヤーです」という事の証明である。一億総中流で皆が300万円プレイヤーな社会では「年収100万円が見込める市場」というのは魅力ゼロであり、企画が通る可能性もゼロである。

そりゃそうだ。そこを開拓しても意味ないもん。

逆に言えば、日本では「年収100万円が見込める市場」は未開拓市場である。未開拓市場ではあるが100万円市場で暮らしている日本人は皆無なのだ。皆無では情報がない、情報がなければそれは存在していないと同義である。いわば「存在しない市場」である。

存在する市場でなければ戦えない

そういった環境のジャパンで最近流行りのワードは「おもてなし」だろうか。これってよくよく内容を見ると「ワンランク上のサービス」という意味である。ワンランク上のサービスを目指すのは日本の得意とする所であり、これで日本は世界の先進国の仲間入りを果たしたといっても過言ではない。

しかし物事には何事も表裏がある。ワンランク上のサービス展開があるならワンランク下のサービス展開もまた同時に存在する。存在するのだが、基本的にジャパンでは「ワンランク下のサービス展開」は好まれない。限界ギリギリまで「料金据え置き、且つサービスを向上」させて、それでもダメになってようやく「ワンランク下のサービス展開」に踏み切る場合が多い。

この動きはどうして起こるのだろうか?簡単な話で、ワンランク下の市場(100万円市場)が「存在しない市場」だからである。「存在しない市場」には情報がない。情報が無ければ潜在顧客も推定できず、推定できなければ事業計画も建てられず、事業計画が建てられなければ他人を説得できない。「ワンランク下のサービス」は常にボツ案になるのがオチである。ならば何とかしてでもよく知っている市場(300万円市場)に踏みとどまろうと「ワンランク上のサービス」を画策するしか方法はない。

一億総中流社会では皆が年収300万プレイヤーだが存在する市場の最下限もまた年収300万市場だ。我々は「存在する市場」でしか戦えないのである。


★★★

一方で、日本では「存在しない市場」である100万円市場をキチンと認知している国がある。格差問題を抱える国々である。こういった国では「年収300万プレイヤー」と「年収100万プレイヤー」が同時に存在している事になるが、それはお金持ち市場から底辺市場まで程よく発展している状態を意味する。

言うまでもないが、存在する市場ならば戦える。格差社会であるが故に出来るビシネス発想というのも当然にあるだろう。

いや、むしろ国際社会は格差社会を前提に存在しているようなものだから「世界の中でも日本だけが出来ないビジネス発想が存在する」といったほうが正しいかも知れない。

格差社会の弊害は勿論議論されるべきだが、総中流社会の弊害もまた色々と議論すべきだろう。


…という事でまた今度